by mish

言語学論集30号 論文要旨


安達 真弓「ベトナム語の文末詞 đây, này, đấy, ấy, kia

本稿では、ベトナム語の指示詞の単独形や名詞修飾形から文法化したと考えられる文末詞、あるいは間投詞としてのđây, này, đấy, ấy, kiaの用法について、指示詞の用法と関連付けながら記述した。これらの文末詞・間投詞は指示詞と同形であるが、明確な指示対象を持たず、省略しても文は成立する。また、空間的遠近よりはむしろ、聞き手に対する呼び掛けや親密さ、驚き、反感といった話し手の態度を表す。


バルプナル メティン「現代トルコ語における“o”系列指示詞の特徴について—直示用法を中心に—」

本稿では、「共通の空間」及び「聞き手による対象の認識」という2つの観点から、トルコ語の指示詞の直示用法を分析し、現代トルコ語のo系列の指示詞には、以下の特徴が見られることを明らかにする。o系列の指示詞は:(i)話し手から遠い対象ではなく、「非共通の空間」内の対象を指示する指示詞である。(ii)聞き手が対象に気付いている時だけでなく、聞き手が対象に気付いていない場合にも用いられる。(iii)指さし等の直示的(非言語的)指示だけでは不十分で、言語的補助を必要とする場合がある。(iv)o, şuがいずれも使用可能な状況では、şuは対象に対する話し手の心理的な共感性/共有性を含意するが、oにはそのような心理的含意は感じられない。(v)特定不可能な対象(目で見ることができない対象、又は目前にない対象)を非直示的に指示することができる。更に、上記特徴(iii), (iv), (v)は、oが「非共通空間」の指示詞であるという(i)の特徴の帰結であることを論じる。


長谷川 明香「英語における間接使役構文の動機づけ」

本稿では、Nixon bombed Hanoi.John built a new house.のような、動詞句が通常表わす行為を実際に行なう人(以下Actor)ではなく、その人がその行為を行なうように命令・依頼した人(以下Indirect Causer)が主語になっている非典型的な語彙的使役構文(本稿では「間接使役構文」と呼ぶ)を取り上げて、その成立背景を探る。間接使役構文の表わす事象には以下の特徴が観察される。

  1. Indirect CauserがActorに働きかけない限り、その行為が実現しない。
  2. Indirect Causerが行為の実現を意図し(社会的慣習などに従って)Actorに働きかけさえすれば、行為は抵抗なく(ほぼ自動的に)遂行される。
このことから、本稿では、間接使役構文の主語の選択が、この構文と結びついた以下のような捉え方によって動機づけられていると主張する。
  1. Indirect Causerが、行為実現に対する意図および責任の主体である面が焦点化され、(Actorを差し置いて)行為の主体として捉えられている。
  2. Actorは、Indirect Causerが行為を遂行するための手足や道具に相当するものとして捉えられるため、その存在は因果連鎖において捨象されている(典型的な語彙的使役構文における道具(Instrument)と同様の捉え方が適用されている)。


平田 秀「三重県鈴鹿市方言の後部3拍複合名詞のアクセントについて」

三重県鈴鹿市方言の後部3拍複合名詞のアクセント規則は、以下の通りである: 1. 高起式の場合、 語末から数えて3拍目にアクセント核がおかれる(−3型)。2. 低起式の場合、語末から数えて3拍目にアクセント核がおかれるものと、語末から数えて2拍目にアクセント核がおかれる(−2型)ものに分かれる。後部要素単独のアクセント型や特殊モーラは-2型の出現に関与しない。2. は現代 京都市方言の複合語アクセント規則とは異なっており、院政期京都方言の複合名詞アクセント規則が鈴鹿市方言において部分的に残存しているものと考えられる。


ISHIZUKA, Masayuki “The surcompound perfective form in the Lapurdian Basque Bible”

バスク語ラプルディ方言に翻訳された聖書の動詞重複合形の用法を記述し、その使用の理由・動機の説明を試みる。重複合形は不定の事態や経験を述べる場合や、偶然性・事態の完 了を強調する場合に用いられる。また、重複合形は場面の変わり目や場面に隔たりのあるときに使われている。このような重複合形の用例から、この形式は動詞が指示する事態を順次発生するものとして捉えるのではなく、その事態が過去に起きたということ自体に力点を置 いて述べるのであると考えられる。この性質のために物語を内部視点で語る場合、つまりあたかも目の前で展開するかのように語るときには重複合形は使われず、その使用は物語が外部 視点で語られていることを表すことになり、結果として場面の変わり目や場面の隔たりを明示する機能を持つ。


鍛治 広真「エウェン語の形態音韻論における数詞の特異性」

本論文ではエウェン語の名詞語幹を、接尾辞の異形態を説明する形態音韻論的観点から母音語幹、硬口蓋子音語幹、n語幹、その他の子音語幹の4つに分類する。接尾辞-lkAn「〜を持っている」を付加する場合、母音で終わる語幹には-lkAnがそのまま付加される。子音で終わる語幹にこの接尾辞がつく場合は、子音連続を避ける措置がとられる。硬口蓋子音で終わる語幹には、挿入母音 I が現れた異形態 -IlkAnが付加される。nで終わる語幹は、一部を除き、語幹末のnが脱落し母音で終わる形になり、-lkAnが付加される。その他の子音で終わる語幹には、挿入母音Aが現れた異形態-AlkAnが挿入される。しかしながら数詞にこの接尾辞を付加した場合、予測とは異なる特異な形が現れる。


北田 信「ダキニー・ウルドゥー語の歌詞集成『Kitāb-i Nauras』の言語におけるアラブ・ペルシア的特徴」

16世紀後半あるいは17世紀前半に南インドのムスリム王朝においてダッキニー・ウルドゥー語を用いて書かれた歌詞集成の言語を分析する。アラビア文字で表記されるのにもかかわらず、そこに含まれるアラブ・ペルシア語彙は少ない。言語面でも内容面でもむしろヒンドゥー的色彩が濃い。つまり当時ムスリムの私生活においては南アジア土着の言語文化が行われていた。


児倉 徳和「シベ語の動詞接尾辞-mi, -Xei, -maheiについて―アスペクトと時間ダイクシスの体系―」

本論文では、シベ語の動詞接尾辞-mi, -Xei, -maheiの機能の検討を行うことを通して、テンス・アスペクトの体系化を行った。従来-miと-Xeiは非過去・過去というテンスの対立であるとされてきたが、本論文ではまずシベ語には文法化されたテンスがなく、-Xeiと-maheiが完了と非完了というアスペクトの対立をなすということを主張した上で、シベ語が文法的なテンスを持たないものの、アスペクト形式の選択という点で発話時が基準時として働く傾向が強いことを指摘する。


永澤 済「変化パターンからみる近現代漢語の品詞用法」

日本語における漢語の中には、近代から現代にかけて、品詞用法に変化がみられる語が多くある(例:「帝王の暴虐が、頭腦に深刻せられ」)。現象自体はこれまでにも指摘されてきたが、個別の事例を指摘するにとどまり、変化の実態が十分に明らかになっているとはいえない。多数の語が、短期間に文法的機能を変化させたことは、個々の語を超え、大局的に捉えるべき現象だといえる。本稿では、そのための基礎データとして、漢語700語について、近代に、名詞・形容詞・副詞・動詞の4種のうちいずれの用法をとり得たのかをコーパス調査し、現代と比較した。そして、近代から現代に至る変化の実態を、「理論上」可能な変化パターン225通りと、「実際」に現れる変化パターンとの対比により示した。


荻原 裕敏「トカラ語A «Bṛhaddyuti-Jātaka»の部派帰属について」

トカラ語A断片Nr.19a1-25b6 (= THT652a1-658b6) には、«Bṛhaddyuti-Jātaka»と称されている本生譚が語られている。この物語のパラレルとしては、Emil Sieg (1944) によって指摘されたMahajjātakamālā 所収«Bṛhaddyutikumbhakārāvadāna»が、既に知られている。本稿では、主に、漢訳仏典に見られるパラレルとの比較を通じて、トカラ語Aによる物語が、有部に伝えられた伝承に基づいていると考えられる点について検討する。


ROSA, Mark “Newly‐Discovered Paper Records in Kaida Writing

大阪府吹田市の民族学博物館で、各種の形に出来ている沖縄原住の文字で記された 記録が発見された。これほど大きい所蔵品はなかなか無く、(1)日本語と八重山カイダ ー字のバイリンガルで書いてある平らな四角い板札、(2)与那国からだと思われるカイ ダー字で書いてある紙、(3)沖縄本島から蘇州馬(スウチュウマ)で書いてある木簡が ある。

板札はすでに沖縄や日本本土の新聞に解読・説明された(佐々木 2006)が、残り の資料は今まで未解読でその存在はまだ出版されていない。本記事は、筆者が民族博物館 の雑誌「みんぱく」に日本語で説明したものを拡大し、ここでは英語で説明する。主題は 紙の資料だけで、木簡は今後の記事にしたい。


酒井 智宏「トートロジーの主観性の源泉でないもの」

この論文の目的は主観性に基づくトートロジーの分析(主観性仮説)を解体することである。主観性仮説は、(i) 一般に文が表す主観性はその文が持つ情報量に反比例する、(ii) トートロジーは情報量がゼロである、という二つのテーゼからなり、(i-ii)によりトートロジーが豊かな主観性を表すという事実を説明しようとする。このうちテーゼ(i)を取り上げ、それがさまざまな言語学的・哲学的難問を引き起こし、そうした難問を回避するべく(i)を修正していくと、結局、主観性仮説自体が解消されてしまうことを示す。


嶋田 珠巳「言語意識の問題〜アイルランド英語の “Irishness” と “Bad Grammar”〜」

言語形式に対する話者の意識について、アイルランド南西部で得たデータをもと に考察する。文法・語彙形式に対する意識調査における、おもに “Irishness” と “bad grammar” 評価の相関の有無を検討しながら、アイルランド英語話者の「ア イルランドらしさ意識」(awareness of “Irishness”) と「スタンダード意識」 (awareness of “Standard”) の二つの意識に関して例証する。本稿では、集合的に文 法形式にたいする意識をみた場合の傾向を示すことに加え、地域、年齢、および 話者の志向性から調査データの個人差の検討も試みる。


石 賢敬「能動性の排除された韓国語の<되다 doeda構文>について」

日本語の「なる」に意味的に対応する韓国語「되다 doeda」が生じる三つの構文のうち、動詞が先行する<되다 doeda構文>について考察する。<되다 doeda構文>の表す行為は<外的事情>が必要条件になってその意志・意図が生じることから、この構文の機能は行為の能動性を排除する表現であると主張する。


田添 暢彦「回輝語の類別詞について」

回輝語は中華人民共和国海南省三亜市鳳凰鎮回輝村および回新村におよそ 6000 人の話者を持つオース トロネシア系の言語である。本論では筆者が 2002 年から 2010 年に行った現地調査で得られた資料1を元 に回輝語の類別詞を論じた。回輝語の類別詞は数詞、名詞、指示詞の直後に現れうる。また主要部名詞と の関係で言えば、類別詞は主要部名詞の前に現れる場合と、後に表れる場合がある。前者は数詞との共起 が必須で、不定である。後者は数詞が現れない場合もあり、定を表す。


許 永新「自動詞文と他動詞文の同義表現についての日中対照研究」

本稿では,コーパスの実例を挙げながら日本語と中国語における自動詞文と他動詞文の同義表現を分析する。そして,受影動作主という観点から,非意図的人間と自然の力という二つの場合があることを示す。さらに,これらの構文の動作主は,[-Volition], [±Action], [+Affected] という共通する意味的特徴を持っていることを明らかにした。


目次へもどる

トップページへもどる